UglySmile

人生には物語とROCKが必要だ。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』11話 感想と考察:名もなき「エイダン・フィールド」の手紙

 

第11話『「もう、誰も死なせたくない」』の感想と考察です。

まずは考察から。

 

  • 『エイダン・フィールド』

 

「お客様がお望みならどこでも駆けつけます」のうたい文句に嘘はなかった。ホッジンズ社長の意向に背いて、大戦の残り火が燻る元敵国へと独断で出張に向かったヴァイオレット。戦火を生き抜いてきた自分だからこそ、正しく兵士の心を掬い上げることができるかもしれない。彼女のなかで高じるドールとしての職業意識は、今なお自身の内部を焼き続ける悔悟の念と合流して、皮肉にも彼女の運命を再び戦場へと押し流してしまいます。

原作では、アニメ7話のオスカーの物語、前回のアンの物語に続く、第3章としての位置付けとなる今回のエピソード。原作ではじめて読んだときは前二話との毛色の違いに正直戸惑ってしまいましたが、血生臭い現実にも光を当てる語り口であればこそ、戦いのない日常のドラマへの説得力も生きてくるんですよね。原作はそのあたりの塩梅が巧みで、一気に世界観の彩度を下げるような無情な展開と緊迫感のある表現が、作品の陰影と読者の作品理解を深める効果を発揮していたと思いますが、アニメ版では制作の再解釈によってまた違った印象を受けるエピソードになっていました。

舞台やそのほか諸々の設定は変わりましたが、ストーリー自体は変わっていません。ただ、アニメ版で戦場に向かうヴァイオレットの視点が追加されたことは大きな変化だったと思います。基本的に依頼人視点で描かれる原作とは違い、ヴァイオレットを起点に展開していくアニメ版では、シリーズを通して彼女の内面がクローズアップされてる点が目を引きます。今回もそれは顕著でした。クトリガルに到着した際、戦場の空気に軍役時代でも思い出したのか、傷ついた兵士を緊張した面持ちで見つめるヴァイオレット。ヴァンダルの厚意でメナス基地に向かった彼女が、上空から地上の惨状を見下ろすときの表情。かつては敵側であった人間たちへ向けられる彼女のまなざしは、戦場における無数の兵士の死を視聴者に強く意識させます。

またこの視座は、どんなに目立たないキャラクターにも設定を付与し、デザインも妥協しない京アニの制作スタイルによって、さらに顕明なものになっていきます。脱走したガルダリクの残党の襲撃を受けたエイダンが所属する分隊。EDのクレジットを観れば分かりますが、実は彼らにも名前が付けられていました。Netflix配信版の字幕によると以下の通りです。

《襲撃シーンの彼らの会話から。なお本編で名前が言及されているエールとニックス曹長は除く》

「なあ、もうすぐ大陸縦断鉄道が出来るんだろ?」(ラッセル)

「ああ。そしたら南の国まであっという間だぞ」(ミハエル)

「あっちの女の子はみんな可愛いっていうじゃないか」(ジャン)

「うまい食い物もいっぱい届くようになる」(ジョナス)

彼らにも言葉があり、名前があり、語られることのなかった人生がありました。(ちなみにジャンはEDのクレジットなし) それが唐突に、不条理に終わりを迎えようとする恐ろしさや無念は計り知れません。彼らは兵士とはいえ、見るからに練度不足の寄せ集め集団といった感じです。「こんなはずじゃなかった」というのが正直なところでしょう。

ただし、幸か不幸かエイダンだけには死を迎えるまでに僅かながら時間が残されていました。彼は愛し愛された人のなかで自分が記憶となって生き続けることを願い、自分の生きた証をなんとか形にして残そうとします。その手段となったのが、両親への願いと恋人への想いを託した手紙です。6話の彗星に関する文献にもあったように、この世界では輪廻の思想が信じられているようです。エイダンもまた絶対不変の魂の存在を信じ、その流転を信じる一人でした。たとえそれが死の恐怖の慰めでしかないとしても、人が最期に縋るのはやはり"物語"なのかもしれません。

こうしてエイダンはヴァイオレットに看取られて最期を迎えます。しかし、分隊のほかの兵士たちは彼のように、離れた場所の誰かに言葉を遺す間もなく、野ざらしのまま孤独と恐怖のなかで絶命するほかありませんでした。言葉を遺せた者と遺せなかった者。この運命の気まぐれに感じるうら寂しさは、前回のアンの母クラーラと対比することでさらに強まります。ヴァイオレットを通して他者への想像力が意識された今だからこそ、これらの虚無感は強く胸に迫ってくるものがあります。エイダンが手紙のための言葉を紡ぐ場面や、ヴァイオレットによって彼の手紙が届けられる場面。それらが印象的であればあるほど、その後景にはやはり想いを届けられなかった数々の報われない魂が顕在化されていくんです。

エイダンが死の際で幻視するマリアを抱きしめたときに発した言葉。それはミュートされて視聴者には届きません。唇の動きとヴァイオレットがハッとしていたところを見るに「愛してる」だと思いますが、あえて口元だけのカットで無音にしたのは、彼と同じように故郷の誰かを想いながらも、それを伝えることの出来なかった名もなき兵士たちの声が、そこに無音で重ねられていることを想像させるためだったのではないでしょうか。それならば、月明かりに照らされて空に舞い上がっていくダイヤモンドダストが象徴するものもより意味深くなります。まるで北欧神話ワルキューレのように、戦死者たちの魂を天上へと導くヴァイオレットの神秘性が際立つ、とても幻想的で物悲しいシーンでした。

ちなみに「エイダン(Aidan)」とは、アイルランドの古語で「小さな火」を意味するのだとか。「戦場」の意味も持つ「フィールド」と組み合わさると、彼の名前は戦場で尽きる全ての兵士の命の灯火を司っていることにもなります。ヴァイオレットが最後にエイダンの両親とマリアに向けた、叱られた子どものような謝罪の言葉には、そうして散っていった全ての兵士たちへのまなざしも含まれていたのではないでしょうか。だからこそ、彼女の心の声であるサブタイトルの決意にも繋がったのかもしれません。しかしそれは一人の少女が背負うにはあまりにも重すぎる願いです。

 

 

ヴァイオレットの戦乙女めいた神秘性を演出していたもう一つのファクターが、エイダンの乾いた唇と対比される、彼女の艶やかで鮮烈な赤みを帯びた唇です。前回アンから贈られたキスによって、親愛のしるしとしてキスを理解したヴァイオレットは、エイダンを看取る際に、おそらく彼の死に際の言葉に応えて、恋人のマリアを演じて親愛のキスを贈ります。彼女はこのとき、自身のなかの女性性をはっきりと意識していたはずです。

もちろん自分の身体が女性としてのものであることを彼女は理解し、今までそのつもりで対処してきたのでしょうが、彼女が心理面においてこれまで女性らしく振る舞ってきたのは、軍役時代が抜け切らなかったかつての所作と同じように、そう振る舞うべきだと周囲から教えられてきたからに過ぎないのだと思います。しかし、エイダンの死に際、義手に彼の願いを自分のことのように刻みつけるヴァイオレットは、死の恐怖と孤独のなか、生=性の肌触りを求めるエイダンに応えるために、自分のなかの"女"に意識を向けて、自らの意志で女の身体を活用したのでしょう。

ところで、同情心というのは物理的距離に比例するという話があります。どんなに心のなかで嫌ってる相手でも、目の前で困っているのを見かけたら、手を差し伸べた方がいいかも?とふと思ったりするものです。(相手の自立心を損なうのが目的でなければ) ヴァイオレットの献身的な同情心も、エイダンの身体との距離や廃屋という閉鎖環境によって喚起された部分もあるのかもしれませんね。また、それとは対照的なのがガルダリク兵の攻撃方法です。彼らはクトリガル兵に対して近接格闘は避け、砲撃や狙撃を主としていました。遠距離攻撃や顔の見えない背後からの攻撃というのは、敵への同情心を遠ざけ、殺人への忌避感を緩和させる効果があるのだそうです。

 

 

  • 感想

 

ヴァイオレットの空挺降下シーンと格闘シーンがカッコよくて好きです。なんだか腕が鈍ってるどころか、さらに身体能力が向上してるんじゃないですかね……。敵の背後に回って、即座に降下の勢いを殺して転身、銃弾を躱しながら間合いに入り込んで敵の無力化を図る。しかも雪上で。あれ? 斧もアリな気がしてきたぞ……。

 

今回とくに印象的だったのはマリアのおっぱい…じゃなくて全編通して画面に潜在的に盛り込まれている死と生(=性)の対比でした。寒冷地の戦場。「狩り」と称してクトリガル兵を獲物扱いし、エイダンをわざと逃して殺しを愉しむガルダリク残党。その冷酷さと逃げるエイダンの恐怖を写し取ったかのような禍々しい森の色彩。そんな冷たく乾いた死の空気に対比されるのが、熱を帯びた潤いと生への希求です。ヴァイオレットとヴァンダルの交流。ニックス隊の浮ついた会話。エイダンの生存欲求。拮抗する死と生のイメージが有為転変と混在していました。

「小さな火」を意味するエイダンの名の通り、彼とヴァイオレットが身を潜める廃屋の暖炉の火は、まるで戦場に消えていく彼の短い命そのものですが、それが尽きたあとに登る朝日は、まるで流転する彼の命の再生を象徴しているかのようです。また、エイダンが希求する生と性のイメージは、金色の稲穂が映える彼の故郷の農場や、マリアっぱい…じゃなくて彼女の扇情的で肉感のある肢体によっても想起されます。京アニキャラ特有のムチムチ感が上手く生かされていました。

画面のなかで二分するこれらの死と生の強いコントラストが、泥臭く血生臭い筆致でドライな戦場を描いた原作とはまた違うかたちで、戦場の極限を伝えていたと思います。最終話間近のサゲ展開だけに、なかなかヘヴィで沈鬱なエピソードでした。こんなときは金子ひらく作品でも観て頭を切り替えるのが一番です。