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人生には物語とROCKが必要だ。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』10話 感想と考察:アン・マグノリアと泣かない人形

 

第10話『「愛する人は ずっと見守っている」』の感想と考察です。

まずは考察から。

 

 

 一億年もの太古から生息していると言われるマグノリア木蓮)。世界最古の花木として知られる所以から「持続性」の花言葉を冠するに至ったこの花が、いつまでも変わらない姿で世界に咲き続けてきたように、母クラーラの変わらない愛情が、最愛の一人娘アンの心に時を超えて重ねられていく遠大な物語。短編だからこそ可能なアイデアとオチにより、感動エピソードに驚きと余韻を添える印象的な回になっています。

住み込み契約で訪れたヴァイオレットに母との時間を奪われて敵愾心を露わにするアン。しかし、自分を大人の女性として認め、遠い外の世界の様子を語るヴァイオレットへの関心を彼女は止められません。ヴァイオレットを人形だと信じ込むアンと、その勘違いを正すことなくいっときの"人形ごっこ"に付き合うヴァイオレット。可愛らしく微笑ましいおとぎ話のような二人の交流が始まりますが、その居心地の良さはアンのなかの「よくないもの」を呼び起こすことにもなります。

出会ったときからアンはヴァイオレットに対して、その風貌から自身の遊び相手の人形と同じような愛着を感じ取っていたのでしょう。その親しみやすさは普段から彼女が抱えていたであろう、怖い作り笑いを浮かべる親戚をはじめとした他者への警戒心を和らげていきます。ヴァイオレットが纏う空気はアンの心を揺らしつづけ、彼女のヴァイオレットに対する認識は徐々に"喋る人形"から"擬似的な母"へと形を変えていきます。その交流に感じる居心地の良さや気安さは、彼女が普段母の身体を気遣って抑え込んでいた、母に甘えたい気持ちを刺激しました。

堰を切ったようにあふれる気持ちはアンの自制心を奪い、彼女をどんどんわがままにしました。ついには隠していた本音を彼女は弱ってる母に思わずぶつけてしまいます。自分を一番に考えてほしいという願い。母の身体より家の心配ばかりする親戚への不信。母を失ってしまう不安。残された時間を奪う手紙への怒り。彼女は母が思ってる以上に多くのことを受け止めて生きていました。「忍耐」「崇高」「威厳」。それらのマグノリア花言葉は、おそらく母が一人残されるアンを想って、彼女に躾てきたものだったのでしょうが、ヴァイオレットとのふれあいによって自制心を失くしてしまったアンはもう、ただの7才の子どもでしかありません。

母を泣かせることはアンにとって決して許されない行為でした。彼女は弱い母にとって自分は一番の味方で、理解者で、庇護者でなければならないと考えていました。母のそばを離れようとしなかったアンの姿は、一見寂しさを抑えられない甘えん坊のように見えますが、そうではなくて、彼女は彼女なりに母親を支えようとしていたのだと思います。母の病気のことも周囲の大人たちの欺瞞も全て理解していたからこそ、彼女は母を守るために強くあらねばならなかった。母にとって彼女の存在が当然のように"un"(フランス語で"1")であったように、彼女もまた母を守るために、un(=一番の味方)という役割を演じなければならなかった。ヴァイオレットさえいなければ、アンはアンのままでいられたんです。

それでも、ヴァイオレットと過ごした七日間は、この先のアンの人生においてとても重要な意味があったのだと思います。発達心理学の世界において「ごっこ遊び」は、子どもに様々な情操教育効果を与えると考えられており、想像力や空想力といった創造性を育むのはもちろん、社会性の発達にも寄与していると言われています。子どもは何かの役割を演じることで他者の視点を学び、仮想的な関係性のなかで自らの立ち位置を規定させる訓練を行い、擬似体験を通じて未来における様々な場面への対応能力を育んでいます。

ヴァイオレットとのロールプレイによってアンの世界は確かに広がりました。母からアンへ、アンからヴァイオレットへ贈られるキスのペイフォワードが象徴するように、ヴァイオレットとのふれあいはアンが大人になるための訓練でもあったのだと思います。また、母と引き離される状況は、彼女が直面する近い未来の擬似体験でもあったのでしょう。母を亡くしたときに自分を責めることなく、きちんと泣けるように、母のいない毎日が訪れて寂しさに襲われても、屋敷でひとりで過ごしていけるように、彼女は未来への対応能力を育んでいたのではないでしょうか。

やがてその未来は現実のものとなりますが、母クラーラが遺したものは、思い出や彼女を守るための家に留まりませんでした。好奇心が旺盛でお転婆なアンの母親だけあって、サプライズ好きな好事家のクラーラが50年に渡って届ける手紙は、子どもに自分の理想を押し付けるような身勝手な内容ではなく、あくまで共に時間を過ごしたアンの延長線上にいる想像の彼女を励ますものです。しかしたったひとつだけ、身勝手な母の理想がその手紙に込められているとしたら、それは50年後もアンの命が続いていて、自分の想いを受け取ってくれることかもしれませんね(ドヤァ

 

  • ヴァイオレットの人形ごっこ

 

前回、同一性の確立によってドールとして生きていくことに確信を得たヴァイオレットでしたが、今回はさらに驚くべき成長を見せ、新たな心性を獲得していました。バブみです。すみません間違えました。えっと、なんだっけ……、あ、そうそう嘘です嘘。彼女は嘘がつけるようになったんでした。彼女は自分を人形だと思い込むアンを正すことなく、ちょっとした悪戯心で人形ごっこを続けます。

僕は以前から彼女は嘘がつけるのかどうか気になっていたんですが、それは、嘘がつけるということが「心の理論(他者の心情を推し量る能力)」の発達においてとても重要な目安になるからです。なぜなら嘘をついたり隠し事をするといった行為は子どもにとても高度な認知能力を要求します。例えば親の言いつけを守れなかった結果、叱られないよう保身のためにつく嘘ひとつ取っても、自分の置かれている現在の状況を正しく理解し、また相手が現在の状況をどれだけ理解し、この状況下で相手が自分に何を求めているのかを理解し、その希望に沿わないことでどんな報いが自分に向けられるのかを理解したうえで、相手の希望に沿うように事実を捻じ曲げるという、複雑な認知プロセスを経て表出されているんです。

ヴァイオレットは夜更かしするアンがほかのドールに興味を示したとき、アンが自分をどのように認識し、アンが外の世界に対してどの程度の理解力を持ち、アンが自分にどんな答えを期待しているのかを理解し、アンをがっかりさせることで生じる自らのストレスを警戒するというプロセスを、半ば非意識的におこなって「そんなに動くお人形がいるの?」と目を輝かせるアンに対して「はい」と答えます。その包容力を感じさせる微笑みに思わずキュンとなるアン。わかるぞ。あれはオギャリティ高い。

子どもが嘘をつくのはいけないことだと大人は思いがちですが、心の発達という観点では祝福すべきひとつの指標でもあるんです。嘘は6話の感想記事でも語ったように、自己防衛機能との関連も示唆されており、それが備わったことは、ヴァイオレットが自身の命を重く捉えている証であると言えるかもしれません。自分としてはやはり9話で自殺を思い留まったことにも関連付けて考えてしまいますね。死の理解と恐怖は、彼女の自己防衛機制の発達にも寄与していたのではないでしょうか。また、嘘は自制心が備わったことの証明でもあります。嘘をつくには表情や情動のコントロールが必要ですから。ヴァイオレットが屋敷で涙を我慢できたのも、この自制心の高まりによるものです。

アンがヴァイオレットを滞在期間中ずっと人形だと思い込むのはアニメオリジナルの展開でしたが、なるほど、ここで嘘の発達を観せるための改変でしたか……。ヴァイオレットとアンの微笑ましい交流を演出しつつ、ヴァイオレットの心の成長をスムーズに描く。いや、お見事でした。

 

 

  • 感想

 

無彩限のファントム・ワールド』の久瑠美や、『小林さんちのメイドラゴン』のカンナのときにも思いましたが、毎度のこと京アニ幼女の破壊力がヤバいです。いや変な意味じゃなくて。愛らしい芝居の付け方もそうですが、諸星すみれの演技、とくに「飲んだ紅茶どうなるの!?」の台詞のあの舌足らずな感じがたまりませんでしたね。なんかマニアックな着眼点ですがヘンな意味じゃありません。皆さんきっと分かってくれると思ってます。

そういえば原作第1章の紅茶ネタが、ラストのヴァイオレットの涙でなんか感動的な感じでオチてたのは笑ってしまいました。ほんと今回のシナリオの原作改変具合が秀逸すぎる。前回を受けてヴァイオレットが人前で飲食できるようになる印象的なシーンでもあるんですが、原作がとても巧みに再構成されてると感じました。

 

それはそうと、とにかく今回は特殊EDの素晴らしさについて語らせてください。歌詞といい曲といい演出といい、今話も音と絵の調和が素晴らしかったです。

この特殊EDを語るうえで欠かせないのは、何をおいても『みちしるべ』という楽曲の解釈です。まず歌詞についてですが、僕は1コーラス目は子を見守る親の視点、2コーラス目は今はもういない親を想う成長した子の視点、「授けられた翼を〜」のフレーズではじまるCメロからは、その子が成長して新しい関係性を築いていく様子を、そしてラストのフレーズは親から子へ、命がまだ見ぬ未来に連綿と繋がれていく様子を綴ったものだと思っています。

この曲はそういった普遍的なストーリーを、演奏面でも視覚化させる感動的な作りになっています。1コーラス目は親と子の閉じた関係を表すように、ボーカルとピアノだけのアコースティックなパートとなっていますが、2コーラス目からは成長した子が新しい他者との繋がりを増やしていく様子を表すように、楽器が増えて立体的な音像の広がりを見せるバンド・パートになっています。

言葉と音で人の一生を表現するストレートで壮大な構成。その後半部分、子の視点に移る2コーラス以降が、ラストに描かれるアンの未来を効果的に彩っていました。間奏、Aメロ、Bメロ、Cメロと、歳を重ねていくアンにシンクロして、それぞれの展開が段階的に重ねられていく演出。いやあ完璧でした。普遍性が強い歌詞なので柔軟な使い方が可能なのだと思いますが、今回はこれ以上ない演出だったんじゃないかな。

なんだか泣かせ演出の見本市みたいなアニメですが、今後もどんな手法を観せてくれるのか楽しみです。