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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』7話 感想と考察:オスカー・ウェブスターが夢見た物語

 

第7話『「        」』の感想と考察です。

まずは考察から。

 

  • 『オスカー・ウェブスター』

 

原作本の公式サイトでも公開されている第1章の映像化です。妻と娘を難病で亡くした劇作家、オスカーのグリーフワーク(身近な人を亡くした者が、その喪失を受け容れるまでのプロセス)が主軸になっていますが、それに加えて感情豊かになったヴァイオレットが罪の意識に目覚め、さらにはエヴァーガーデン夫人からいつぞやの腹いせに少佐の死を伝えられるというアニメオリジナルの急展開にも尺が割かれていました。

原作ではヴァイオレットがまるでアンドロイドであるかのようなミスリードが仕掛けられていたので、アニメ化に際してはその部分のくだりが省かれて、代わりに上記の展開で埋められています。そのうえでオスカー周りのストーリーも程よく掘り下げられており、彼がヴァイオレットに亡き娘の面影を重ねて自堕落な生活を立て直し、娘との失った時間を取り戻していく様子や、それがかえって喪失による彼の傷口を広げてしまう様子など、丁寧なドラマが展開されています。

オスカーの新作についても原作では「娘をモデルにした冒険譚」という説明に留まっていたその内容に肉付けが施され、オリビアが病という「怪物」に打ち克って自分のもとに還ってきてくれる。現実では叶わなかったそんな結末を彼は物語のなかに託し、後世に残されるその物語のなかでオリビアがずっと生き続けることを望む様子がよりはっきりと伝わるように描かれていました。

また、新作の戯曲にオスカーの希望が委託されてる様子が強調されたことで、このエピソードのなかで最も印象的な、ヴァイオレットが湖の上を歩くシーンの意味性も際立ったような気がします。原作を読んだときはオリビアの「いつかきっと」が叶えられたシーンなのだなくらいに僕は考えていたんですが、水や枯葉といったモチーフの意味に着目してみると、このシーンにもオスカーが夢見た希望の物語との連続性を感じ取ることができます。

なぜなら、水や落ち葉といったモチーフは物語のなかでよく「死」の象徴として用いられます。とくに、水は生命の源ですが命を飲み込むものでもあります。井戸は黄泉の国に通じているなんて民話は日本でも有名ですし、ノアの箱舟伝説をはじめ世界にはさまざまな洪水神話が残されています。古来より人々は水に対して畏怖の念を抱き「死」を連想してきました。その例にならって解釈すると、湖の上を歩くという行為は「死の克服」としても読み取れるんですよ。そう考えると傘をさしたオリビアが風に煽られて湖の方向によろめくシーンも、その先の未来の暗示として伝わってくる気がします。

さらに、この「水」と「死」の関係は、オスカーが暮らすロズウェルの街に辿り着くために越えなければならないテミス大河(公式サイト参照)を船で移動するヴァイオレットのシーンにも適用され、入国時はさながら此岸と彼岸を分かつ三途の川やアケローン川を渡るかのようなイメージを想起させ、帰国時には過去の罪に苛まれ、自分が殺した者の死の重みに押し潰されそうになるヴァイオレットの苦しみを効果的に演出しています。原作には大河の詳細な説明はなかったはずなのでアニメで追加された設定でしょう。物語を演出する世界観設定への拘りを改めて実感しました。

今回の話で個人的に上手いと思ったのは、オスカーがヴァイオレットのことを「神様」に例えるくだりです。彼はヴァイオレットのことを"与える者"として称えますが、罪の意識に目覚め、自らを"奪う者"として認識しはじめたヴァイオレットにとってこの言葉は辛く胸に刺さったことでしょう。原作にも存在していたモノローグですが、後半のオリジナルの展開によってより皮肉な台詞となって厚みが増した気がします。こういう意地の悪い脚本、大好き。

 

  • ヴァイオレットの下り坂

 

豊かになっていく心はヴァイオレットに罪の意識という辛い現実を時間差で送り届けてきます。彼女はオスカーの物語に触れることで登場人物に感情移入し「共感」できるようになりました。これらの心の働きを可能にしたのは彼女の想像力です。想像力は共感を育み、人と人との繋がりを深めるものです。過去の京アニ作品で繰り返されてきたテーマですね。たまに共感と同調を同一視してる人がいますが、両者の違いは他者への想像力を働かせて自分とのあいだに一線を引けるかどうかです。皆さん、たくさん本を読みましょう。映像情報に頼らない読書は想像力を育みます。ありがとうフランス書院

想像力が身についたヴァイオレットはオスカーが紡ぐ物語の少女に自分を、父親に少佐を重ねてその再会を夢見るように物語にのめり込んでいきます。また、彼女はオスカーの喪失に自分を重ね、少佐との永遠の別れを想像して涙を流します。まるで幼児退行のように久しぶりにブローチを噛む様子が彼女の寂しさを強調させます。さらに、彼女は過去に殺してきた者たちが自分と同じ人間であることを理解して、その者たちも誰かを愛し、誰かに愛される人生を生きていたのではないかと想像してその命の重みに押し潰されそうになります。

他者の「死」の重みを想像できるようになったヴァイオレット。このタイミングで突き付けられる「少佐の死」。言葉にならない彼女の動揺や、彼女を突然に穿った喪失感や虚無感は、カギ括弧だけという大胆なサブタイトルにも表れていました。台詞調であることを示すにしても、どうして毎回わざわざ括弧でくくってるのかと思っていたら、このときのためだったのね。正直、いつも記事のはじめにサブタイを二重括弧でくくるの我ながらダッセえなあと思ってたけど意図が理解できてよかったw

 

 

  • 感想

 

湖を歩くヴァイオレットのシーンはやはり見応えがありますね。正直言って今回の話ってベッタベタで、健気な少女の病死といういかにも涙を誘うようなモチーフは一歩間違えば安い悲劇ポルノになりがちなんですけど、作画といい音響といいハイクオリティな演出で強烈なストレートかましてくるんでそりゃこっちも捻くれる間もなく涙目ですよ。まあ原作の時点でウルッとしてしまうほど僕の涙は格安なんですけどね。しかし奇数回はヤベえなあ……。

 

ヴァイオレットがホッジンズ社長から少佐の話を聞かされるタイミングは原作とは異なりますが(原作では戦争終結後、ヴァイオレットが目を覚ましてC.H社に入社するまで約2年ほどかかっており、その間に彼女は社長から筆記の教育を受け、エヴァーガーデン家で人並みの社会性を身につけます。少佐の安否については1年目の冬に社長から告げられます)、アニメ版では順を追って彼女の成長を見せて視聴者に感情移入させてる分、彼女の痛みが真に迫り、また中弛みを避ける中盤の転換期としても上手く機能していたと思います。個人的に7話は構成力の勝利といった感じでした。