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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』1話 感想と考察:彼女が抱える心の問題

 

京都アニメーション大賞史上初の大賞受賞作品という触れ込みで、2016年の5月に公開された原作本の発売CM。その緻密で繊細な30秒弱の映像に多くのアニメファンが息を呑み、アニメ化企画進行中の発表に誰もが色めき立ったあの瞬間から1年半の時を経て、待ち望まれた超期待作がついに世界中の視聴者のもとへと届けられました。

冒頭からものづくりに真摯な制作の、並々ならぬ熱量を感じ取るのに充分な画力と音圧の連続に驚かされます。これまた評論家気取りでウダウダと誇大妄想を語りたくなること必至な、安心と信頼の京アニクオリティでした。

と、いうわけで各話の感想や解釈などをまたひっそりこっそりと投稿していきたいと思います。第1話『「愛してる」と自動手記人形』の感想と考察です。

まずは考察から。

 

  • 彼女が抱える欠落 その1 - 心の理論

 

第1話はなんと言ってもヴァイオレットちゃんが抱える問題について十二分に描かれた回でした。戦争しか知らない半野生児のヴァイオレットちゃんは常識もマナーも嗜好も持っていません。しかし、最も難儀なのは、ヴァイオレットちゃんの心の問題です。ヴァイオレットちゃんのこれからの歩みに寄り添ううえで、この点について整理しておきましょう。

ヴァイオレットちゃんは対話者の言葉の奥に潜む、発話されることのない心情や本音や意図といったものを理解することができません。ヴァイオレットちゃん(すみません、この呼び方世界観に合ってない気がして原作読んだときからツボでした。言いたくて仕方ないです。でも子安ボイスだと軽薄過ぎることもなく、世界観にすんなり馴染む説得力が発揮されてるんですよね。声優ってスゴい)は、相手が何を誤魔化したいのか、こんな物言いをしたら相手がどう思うのか、それらを推測する能力が欠けているんです。

この能力は心の理論と呼ばれ、子どもの心の発達において重要な役割を果たしていると心理学の世界では考えられています。ヴァイオレットはこの能力が著しく欠けているために、ホッジンズ社長がギルベルト少佐の安否についてはぐらかしたいことも、自分の言葉がエヴァーガーデン夫人を傷付けることも、ベネディクトの言葉の足りない指示の意図も、カトレアが依頼人の想いを汲み取って「愛してる」という言葉を紡いだそのすべも、まるで理解できないんです。

なので、ギルベルト少佐の「愛してる」という言葉の持つ想いも、ヴァイオレットのもとに届くことはありませんでした。彼女にとって「愛してる」という言葉の中身は、社長から宛てがわれた自分の部屋のように未だ空っぽで真っ暗なんです。しかし、「愛してる」を理解するカトレアの仕事ぶりを目にしたことで、その言葉の中身に光をあてることができるかもしれないと希望を持った彼女は、社長に代筆業への転属を願い出ます。こうして彼女の止まっていた時計の針は再び動きをはじめました。

 

  • 彼女が抱える欠落 その2 - 感情の言語化

 

ヴァイオレットが抱える問題は心の理論の欠落だけではありません。もう一つ、感情を言語化できないという問題があり、このことが心の理論を育めない要因になっているのだと僕は考えます。

彼女は少佐の瞳の色と同じエメラルドのブローチを市場で見つけたとき、自分の感情を表す言葉を見つけられずにいました。彼女は少佐の口から聞くまで「愛してる」という言葉を知りませんでした。彼女には平和な日常生活において感情というものを表現するための言葉が著しく不足してるんです。彼女の言語活動の大部分は軍人であるためのものだったからです。

僕たちは強い感情に心が動かされたとき、それについて「うれしい」「ムカつく」「泣ける」「ウケる」といったように言語化します。言語化によって自分の気持ちを整理したり、客観的に意識したりすることで、気づきや内省が可能となり、心の保全を図ることができるからです。僕らが意識できる人間の精神活動というのは、極めて言語的なものなのです。(ジュリアン・ジェインズという心理学者は自身の著書のなかで、人類のあいだに言語が生まれる以前は、心も生まれていなかったとまで言い切っています。面白い考え方です)

逆に言語化されることのないモヤモヤした感情は、ハッキリと意識に上ることなく手からすり抜けるようにして霧散してしまい、すぐに忘れ去られてしまいます。戦場から離れたヴァイオレットの日常とはこのような状態の連続であったと推測されます。これは一人でいるなら問題は軽微であるかもしれませんが、ことコミュニケーションが必要な場では致命的な問題を引き起こします。

他者の心情を理解しようとするとき、エスパーでもない僕たちは決してはっきりと知ることのできないそれを、自分の経験に照らし合わせて推測します。「こんなとき、自分はこう思うのだから、相手もこう思うのかもしれない」という極めて主観的な推測が、僕たちがとりえる、他者の内面に対し最もリアリティを感じることのできる方法なのです。

ところが、ヴァイオレットはそもそも自分の感情というものを理解できません。他者の感情を推測するための足掛かりとなる自分の感情を、言語化によって意識することができないからです。感情の言語化とは、他者の感情を理解するうえで根源的な役割を果たしているのだと僕は考えます。

ここで、ヴァイオレットの抱える問題を段階的に整理して考えると、1:言葉を持たないから、自分の気持ちが分からない。2:自分の気持ちが分からないから、他人の気持ちが分からない。3:他人の気持ちが分からないから、少佐の「愛してる」が分からない。となります。

冒頭のシーン、人ゴミに紛れて歩く少佐とヴァイオレットの周囲の世界は極端にぼかされ、視聴者の目を否が応でも引いてしまいます。それは人ゴミのなかで少佐だけはハッキリと認識できる、少佐しか見えず、少佐のあとを付き従う、犬系ヒロインのヴァイオレットを表現するだけではなく、言語化されずに掴み取ることのできない感情の霧に包まれている彼女の、内的世界をも表現しているのかもしれません。

言葉を知り、自分を知り、相手を知る。それは愛を知るための足掛かりであり、そのために今のヴァイオレットに最も適した仕事が、代筆業なのかもしれませんね。言葉の豊かさは、心の豊かさを育むのかもしれません。皆さん、どうか語彙力を鍛えて世界を良くするために頑張ってください。応援してます。(他人任せ)

 

 

  • 感想

 

冒頭、ギルベルト少佐に問いかけるヴァイオレットの、掴み切れない自身の心の内を表すように胸に手をやるしぐさや、逆にカトレアの仕事に立ち会った彼女の、何かを掴んだ心の内を表すように慣れた義手をぎゅっと握りしめるしぐさや、ヴァイオレットと病院で再会した際、食い下がる彼女に対するホッジンズ社長の、自分の心を隠すように手をポケットに収めるしぐさなど、手による感情芝居のカットが印象的で、心の機微を意識した画作りが得意な京アニ作品らしい1話でした。

動くヴァイオレットが初お目見えされた、原作の発売CMを観たときにも思いましたが、体に鞭打つかのように異常なほど線の多いキャラデザはそのまま、生っぽい細い動きで視聴者の視線を釘付けにし続けるアニメートはとても有機的であり、ストイックすぎる制作の創作志向はまるでとどまる所を知らないようです。

 

従来のKAエスマ文庫のアニメ化作品同様、今作も構成は原作から大きく変化しているようです。原作ではヴァイオレットがある程度キャリアを積んだ状態で始まる連作短編のような体裁を取り、各話は依頼者側の視点で描かれ、ヴァイオレットは掴みどころのないキャラクターとして常に読者の興味を引き続けます。今回の物語は原作中盤に差し挟まれる社長視点のヴァイオレットの過去話をアニメ化したものですが、やり取りや流れなどは大きく異なりほぼオリジナルアニメとなっています。

ヴァイオレットが新たな人生を生き直す始点のエピソードとして、この物語がアニメ第1話に選ばれたのは想像に難くないですが、そうなると、ヴァイオレットの周囲の人物の視点を横断する原作とは違い、アニメでは彼女が成長していく様子を周囲の人物たちと共に見守っていくような構成になるのかもしれません。

そういや公式ツイッターのカウントダウンコメント見ててちょっと気になったんですけど、「シリーズ演出」って何者??

 

あとどうでもいいんですが、作品の略称って何になるんですかね。個人的にはタイトル英表記の頭文字を取って"VEg"とか"VEG"とか呼んでるんですけど、やっぱ"ヴァイオレットちゃん"ですかね。(気に入りすぎ)

正直なところ、放送開始前は記事を書くつもりはなかったんですけど、アニメが予想以上に刺激される出来栄えだったので、ついノリノリになってしまいました。来週からはもう書くこと無くなっちゃうんじゃねえかな