UglySmile

人生には物語とROCKが必要だ。

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』11話 感想と考察:キノが故郷に帰る理由

第11話『大人の国』の感想と考察です。

今回は、
アバン:『紅い海の真ん中で・a  – Blooming Prairie・a –』
本編:『大人の国  – Natural Rights –』
Cパート:『紅い海の真ん中で・b  – Blooming Prairie・b –』
という構成でした。

 

 

キノの原点を紐解くエピソード・ゼロ。それだけに、シリーズに通底するテーマや、その裏側に潜む精神性を浮き彫りにする、とても象徴的なお話でした。

自立心。主体性。自意識。国の大人たちによって、それらを抑圧されるキノは、先代キノ(住所不定・無職)と出会い、その自由な価値観に触れ、命を賭した彼の導きに応えて、生まれたばかりのエルメスとともに、故郷を捨てて旅に出ます。

そのローカルルールのもと、子どもの自由を抑圧し、乱暴な方法で大人へと矯正させる国のありようには、「自然権」という大仰な英題が示唆するように、現実社会における様々な形や規模の共同体が抱える機能不全を重ね合わせることができます。しかし、その寓意を細かく考察するつもりはありません。視聴者が好きに解釈すればいいでしょう。生きていれば往々にして、人は何かしらのしがらみに囚われ、窮屈さを感じるものですから。

僕がこのエピソードの再アニメ化に際し、気になった点は二つです。画面に何度も印象的に登場する「青い鳥」の意味と、キノはなぜ故郷に戻ってきたのか、という問題です。確かに、キノはスポブラ派かサラシ派かについて考察した方が有意義であるかもしれませんが、キノがサラシ派であることはいまさら議論の余地もない話なので、その点についてはスルーします。

 

  • 幸せの青い鳥

 

原作19巻のカバーイラストを再現したOPのワンシーンにも登場する青い鳥。素直に受け取ればモーリス・メーテルリンクの戯曲『青い鳥』を連想し、「幸せ」の象徴として解釈して、キノは誰にも強制されずに自分の意思で幸せを見つけるために旅立った。などと片付けて終わりでしょう。

この鳥が「幸せ」の象徴であることは否定しません。しかし、前回追加された台詞によって「お墨付き」を与えられたと、ひとりで勝手に盛り上がってる身からすると、そんな生ヌルい解釈で済ませられるほど優しくはなれません。女の子だろうと関係ありません。丸裸にしてやります。グヘヘ。

僕はこの鳥は、青い鳥症候群も含意していると考えています。青い鳥症候群とは、『青い鳥』の主人公であるチルチルとミチルが、隣に住む病気の娘のために、青い鳥を探して夢の世界の中にある様々な国を渡り歩きながらも、一向に鳥を見つけることができない様子にちなむもので、現状の不満ばかりが目につき、未来に過度な期待や理想を抱いて、「もっと他に良い環境の職場があるはず」、「もっと自分にふさわしい恋人がいるはず」と、仕事も恋も長続きせずに転々としてしまう人の心理のことです。グサリときます。

真面目で完璧主義、しかし、コンプレックスが強く、自己評価が低い人ほどこの傾向に陥りやすいらしいですが、それは、これまでの不遇な人生をチャラにするには、高い理想を実現するくらいでないと割に合わないと考えてしまうからでしょう。そのため、落とし所が見つからないまま、いつまで経っても現実と理想のギャップを埋められずに、「青い鳥」を探し続けてしまうんです。文字を打つ手が震えてしまいますが、なんとか気を張って続けたいと思います。

キノの旅も似ているかもしれません。国を支配する絶対的価値を疑い、自己保存の権利を行使して全力でそれを否定したキノは、寄る辺を失ってニヒリズムに陥りますが、いくつもの国をめぐって知見を広めることで、生きるうえで本当に有効な価値を求め続けているようにも見えます。行く先々の国を支配する絶対的価値にツッコミをいれて「これも違う」「あれも違う」と否定し続けることで、最後に残された本当に信頼すべき価値が、いつか立ち現れてくると信じているのです。

しかしキノは、シズのように「親」としての責任を背負うこともできず、フォトのように地域社会のなかで自分の居場所を見つけることもできずにいます。ひょっとするとキノは、「大人」になれないルサンチマンから目をそらすために、深刻ぶって真実だの美だのといった「青い鳥」を探し続け、終わらせられないモラトリアムのなかを彷徨っているだけなのではないでしょうか。それはそれで一つの生き方なのかもしれませんが、問題なのは、そうして続ける旅の先に何が待っているのかということです。

チルチルとミチルは夢の世界の中で結局、青い鳥を見つけられずに自分たちの住む家に戻りますが、目が覚めると飼っていた鳥が青くなっていることに気がつきます。青い鳥はこんなに近くにいた。本当の幸せは実はとっても身近なところにある。そんな教訓を伝える物語であるというのが『青い鳥』に対する一般的な理解ですが、実は物語には続きがあります。

隣に住む娘は二人から青い鳥を譲り受け、病気はたちまち回復します。しかし、チルチルが鳥にエサを与えようとしたとき、娘は鳥を取られまいと抵抗し、その隙をついて青い鳥は逃げて飛び立ってしまいます。泣き叫ぶ娘をなぐさめながら、最後にチルチルは観客席にこう呼びかけます。「どなたか、あの鳥を見つけて、僕たちのもとへ返してください。僕たちが幸せに暮らすためには、あの青い鳥がどうしても必要なのですから」(えぇ……)

このシニカルな結末について、五木寛之は著書『青い鳥のゆくえ』のなかで以下のように解釈しています。

非常に素直に冷静にこの物語を読んでいきますと、そこで『青い鳥』の物語に託してメーテルリンクが語っていることは、ものすごく虚無的なことなんじゃないか。人間は青い鳥という幻想や夢や希望がなければ生きていくことはできない。だから、それを求めてさまざまな旅をくり返す。

しかし、それは遠いところに発見することはできない。そして人間は、本当の幸せとか本当の希望とかいうものは、じつは自分の身近なところにあったんだなということにやがて気づく日がやってくる。しかし、それに気づいたときはもうおそいという話なんです。(強調引用者) 

なんともシビれる死体蹴りです。

エルメスとともに国を飛び出したキノでしたが、時が過ぎて、紅い花の草原に再び戻ってきました。前作ではハッキリしなかったんですが、今作では過去と現在がシームレスにつながり、現在のキノが訪れたのは、故郷の近くにある草原であると明示されています。僕は気になって原作の『紅い海の真ん中で』を読んでみたんですが、ハッキリとした記述はなかったものの、キノの故郷の近くの草原であることは間違いないようでした。しかも驚くべきことに、キノの故郷は廃墟となって滅んでいました。僕はそこに、どうしても『青い鳥』の結末を重ねて見てしまいます。

なぜ、キノは故郷に帰ってきたのか。それは、これまでの生き方を省みて、今ある現実を受け入れて、旅を終わらせて「大人」として生き直そうとしたからではないでしょうか。しかし、そう思い立ったときにはもう遅く、国は滅んでしまっていた。そんな悲劇が、今回の物語には描かれていたのではないかと僕は思ってしまうんです。

青い鳥を探して孤高の旅を続けてきたキノを待っていたのは、誰もいない淋しい景色でした。僕らの世界ではどうでしょうか。理想の居場所を求めるあまり、そばにあるささやかな幸せを見過ごして、誰も寄せ付けずに歩み続けた先に待っているのは…………これ以上はやめておきます。

 

  • 血と花

 

物語のラスト、キノはまるで鎮魂歌のように、在りし日の歌を草原に贈ります。

あなたに花をあげましょう

可憐な色とりどりの花を

あなたが幸せでありますように

あなたが笑顔でありますように

それは先代キノがうたっていた歌とは違い、他者のためを想ってうたわれる歌です。孤高の旅を続けてきたキノが、この地で、この歌をうたうことの意味は、僕にとってかすかな希望を感じさせます。

歌の途中、紅い花びらがキノの頬に降ってきます。その花びらは、キノがキノとして生まれ直したときに付いていた、先代キノの血と同じ位置に降ってきました。この紅い花の名は、キノの本当の名前と同じではないかと言われています。その名前が何であるかは分かりませんが、僕もその意見に同意です。僕はこの紅い花は、キノの過去そのものも象徴していると考えます。

キノは頬に降ってきた花びらを胸に当てます。僕はこのシーンを、かつて先代キノの血とともに「キノ」の名を受け止めたように、キノはもう忘れてしまった自分の本当の名前とともに、過去の自分を否定せずに受け止めたのだと解釈しています。

本当に大事なことは、いつだって遠回りでしか気づけないのかもしれません。過去を捨てず、今ある現実を受け止め、これからを生きていく。キノのこれまでの旅はハッキリとした目的もあてもなく続いてきました。しかし、もしかするとキノのこれからの旅は、旅を終わらせるための旅になるのかもしれません。

 

  • キノ不老説

 

とはいえ、原作シリーズは20巻以上も続き、相も変わらずキノはフラフラとしているようです。作者にも生活があるので仕方ありません。でも安心してください。僕たちとは違い、キノは歳を取らないかもしれません。4話の感想の際に予告していた「キノ不老説」について、ここで語っておきましょう。

この国の人々をよく見てみると、幼い子どもと大人しかいないことに気が付きます。それが実際にどのようなものなのかはまったく想像つきませんが、大人になる手術というのは、思った以上に大袈裟で強引なものなのかもしれません。バイクが喋ったりAIが人形を操ったりする世界ですから、精神転移や成長促進の技術くらいあってもいいでしょう。

しかし、普通の人間ならば、放っておけば成長して大人になるはずです。「イヤな仕事もすすんでできる」大人を作り出したいなら、洗脳でもしてまえばいいのに、こんな大掛かりな手段をとらなければならないというのには違和感を覚えます。

見方を変えてみましょう。ひょっとするとこの国の人々は、「手術をしてすぐさま大人の身体にさせられる」のではなく、「手術をしなければいつまでたっても大人になれない身体」なのではないでしょうか。犬が喋ったり移動要塞がレーザーぶっ放したりする世界です。天然の不老人間くらい存在したっていいでしょう。この国の実態はネバーランド、「子どもの国」なのかもしれません。

ただ、僕はそれよりもキノが歳を取らないということには、「(いろんな意味で)いつまでたっても大人になれない」という象徴性を含ませることができる、その効果の方が重要なのではないかと考えています。物理でも呪いでもなんでも構いません。キノが子どものままでいる。そのこと自体に意味があるんです。

といっても、ただのサザエさん時空の可能性もありますし、そもそも4話ラストの台詞にそんな深読みをさせるような意図なんて元々なかったのかもしれませんけどね。いや、それどころか「青い鳥」の解釈一つでここまで誇大妄想をこじらせてきたことだって……(今更)

あ、それと4話でキノがシズとティーを助けた理由ですが、今回の話を観ればおおよそ想像はつくと思います。二人ともキノと同じように親に恵まれていないんですよね。キノは二人に自分の境遇を重ね、同情的になったのでしょう。

 

 

  • 感想

 

国の内と外をキノの心象に重ねて彩度の高低で表現した色彩や、国のなかを走り抜けて飛び出すシーンまで全く使用されないBGMなど、カタルシス演出が冴えた回でした。あと歌。歌ね。

 

しかし、こうして考えると『優しい国』以上にキノの旅の終わりを象徴するようなエピソードで、再アニメ化に際してこのエピソードを終盤に、しかも『優しい国』のあとに持ってきた意味もなんとなく納得できるような気がします。というか、実質最終話でもいいくらいです。

同じ物語であっても、改めて構成を組み替えて流れを作ることによって、そこに新たな大きな物語を浮かび上がらせて、別の解釈を生ませる。こんなやり方もあるのかと、ひとりで目から鱗を落としまくってる次第です。

間違っても視聴者の心をエグるために忘年会シーズンやクリスマスシーズンにぶつけてきたわけじゃないよね?