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人生には物語とROCKが必要だ。

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』8話 感想と考察:なぜ人々は電波を否定できないのか

HAARP(高周波活性オーロラ調査プログラム 英:High Frequency Active Auroral Research Program)をご存知だろうか。

アラスカ大学、米軍、DARPA(アメリカ国防高等研究計画局)が共同し、かつてアメリカで行われていた高層大気研究プロジェクトである。しかしてその実態は、強力な電波照射によって人為的に地震を引き起こす気象兵器とされており、近年の大規模な地震はすべてHAARPによるものなのだ。

だが、HAARPの恐ろしさはそれだけではない。この計画のもうひとつの脅威は洗脳兵器としての側面である。仕組みはこうだ。予防接種のさいに体内に投与されたマイクロチップが、にんげんの脳に感応する特定の周波数をはっして、対象しゃのかん情をコントロールする。その命れいをはーぷのでんじはによっt……………………Σ( ゚д゚)ハッ!

イケないイケない。うっかり電波を受信してしまいました。ひとまずアルミホイルを頭に巻いてMUSEでも聴いて落ち着こう。

 

気を取り直して、第8話『電波の国』の感想と考察です。(どうでもいい洋楽ネタが続いてスミマセン)

今回は、『電波の国  – Not Guilty –』+『ティーの一日  – a Day in the Girl's Life –』という二部構成でした。

 

 

今回も分かりやすい話でしたね。

というか、むしろ「台詞で説明しすぎじゃね?」くらいに思いました。まあ、そもそも今回の物語が言葉や思いの伝わりにくさを描いたものなので、それ自体が分かりにくくてどうするんだって感じ、なのかな?

では、個人的に気になった点を。

 

  • 皆、何かのせいにしたい

 

シズがいくら証拠を突きつけても、警察も民衆も毒電波の存在を捨て去ろうとはしませんでした。まるでその存在が彼らにとっての救いであるかのようです。

凶悪事件が起こると、人々は批判しやすいものを槍玉に挙げて糾弾しようとします。そのうえ、似た事件が起こるたびに十把一絡げにして語り、それが根本の問題であるかのようにあげつらって断罪しようとします。

事件とは加害者個人の人生という大局的な流れのなかで、個人の性格、それまでの生活環境、社会背景、それらの要因が絡み合ってアナジーを生んだ結果、起きてしまったものであるはずですが、そんな複雑な事情など傍目からは窺い知れないので、人々はつい単純で明快な批判の的に飛びついてしまいます。

その過程によって加害者それぞれの怒りや弱さや過ちは封殺され、記号化され、本当に大事な問題には目が行き届かなくなってしまう。では、人がこうも近視眼的になるのはなぜなんでしょう。

人は自分が理解できないものに強い恐怖や嫌悪を抱きます。とはいえ、犯罪者の"理屈"など理解できないし、したくもないと思うでしょう。なので、理解できない代わりに納得しようとする。「事件は〇〇の影響を受けて起きた」という、因果性のありそうな"方程式"を見つけて納得することができれば、それ以降に起きた事件もその公式に当てはめて考えればいい。そうして、人は得体の知れない悪意に曝される不安を解消させたいのではないでしょうか。

人は理屈よりも公式に頼るものです。たとえそれが単に傾向的な問題で、相関関係はありそうでも、因果関係があるとは言い切れない事象だったとしても、深く考えるようなことはしません。これは虚偽の原因の誤謬と呼ばれるもので、ときには教養のある人ですらついついハマってしまう落とし穴です。とりあえず納得したい。安心したい。そのためなら批判の対象は、電波でも悪魔でもアニメでもマリリン・マンソンでも何でもいいんです。

 

  • 「無罪」と「潔白」の違い

 

突然ですが、"Not Guilty"も"Innocent"も同じく「無罪」の意味で使われる言葉です。しかし、アメリカの陪審裁判において最終的に判断されるのは、被告人はGuiltyか、それともNot Guiltyかであると言われています。

Not Guiltyとはあくまで「法的に有罪とは認められない」という意味であり、一方のInnocentは法廷においては「潔白」を意味し、「全く罪を犯していない」というニュアンスになるので使い分けているんですね。

法廷では被告人がInnocentであるかどうかは問題にしません。あくまで法律上、有罪と認められるか、そうでないかを判断します。判決がNot Guiltyだからと言って、その人がInnocentであるとは限らないんです。"電波の被害にあって殺人に手を染めるハメになった不幸な人たち"は、この国においてはあくまでもNot Guiltyでした。

そして、シズを助けるために民衆を手榴弾で脅したティーも、毒電波はでっち上げなのだと民衆に理解させるために、署長に嘘をついたシズもまた、InnocentではなくNot Guiltyでした。何度も言うようにNot Guiltyという言葉のなかには時に悪意も保存されています。

民衆のために悪を演じることも厭わなくなったシズは、『船の国』の頃とは見違えるようです。彼は着実に変化しています。

 

 

大人は子どもをInnocentだと思いたがるものですが、僕は子どもはNot Guiltyだと思っています。子どもはやっかいな生き物です。いつ爆発するか分かりません。環境や育て方次第で善にも悪にもなります。

ですから、子どもをGuiltyにさせないことは、親や周囲の大人たちの役目です。陸の水気を拭き取るシズを見たティーが、真似をしてタオルで髪を拭くことを覚えたように、子どもは大人に倣います。子どもは見ていますよ。そして、大人が思ってる以上に世界から色々なものを受け取っています。

ところで、『ティーの一日』の英題である"a Day in the Girl's Life"って、直訳以外に何か特別な意味があるんですかね。まさか、TM NETWORKからの引用?

 

 

  • 感想

 

ティーやシズのハッタリのシーンや、ティーを殺してでもシズを守るつもりだったと告白した陸のシーンなど、後半は濃い陰影の使い方がとても印象的で、それはまるで悪意と善意が併存する人間らしさを象徴してるようでした。

 

残虐シーンには色々な配慮が見受けられましたが、それでも上手いこと視聴者の不安や想像力を煽る演出が冴えており、アニメーターの矜持を感じました。そうでなくては、ティーと陸のいじらしい日常の風景が映えませんからね。

 

冒頭から当たり前のように爆弾漁に勤しむティーがファンキーすぎて笑ってしまいました。

今回の話はシズの変化も見所ですが、やっぱりティーの成長が目を引きます。シズ一行の物語は、シズ、陸、ティー、それぞれのキャラの成長や関係性の積み重ねが見て取れ、各話との結びつきも強い物語となっているので、キノパートとはまた違う趣きがあってとても面白いです。

大きな声では言えないけど、ああ、ティーはやっぱりかわいいなああ!!!