UglySmile

人生には物語とROCKが必要だ。

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』6話 感想と考察:「生きれば、死ねる」の意味

第6話『雲の中で』の感想と考察です。

今回は、

アバン:『雲の中で・b  – Blinder・b –』

本編:『雲の前で  – Eye-opener –』+『雲の中で・a  – Blinder・a –』

ED:『あの日から  – Since I Was Born. –』

という構成でした。

 

 

まずは考察から。

 

 

今回の話のなかでもとりわけ印象的で衝撃的なフォトの絶叫シーン。そこに込められた彼女の心境とはいかなるものだったのでしょうか。

フォトは生まれ故郷の教えを盲信していました。どんな酷い仕打ちを受けても、恨みも憎みも殺しもせず、たとえ殺されてもそれすら受け容れて、微笑んで果てるつもりでした。それは、人の善性を覚醒させるための犠牲として、自分自身を世界に捧げる行為です。彼女の生と死は、その"使命"のもとでしか意味をなさなかったんです。

しかし、覚悟完了してるかに見えたそんな彼女も、死線に立たされては魔が差し、エゴがむき出しになります。死ねばいい。そんな一瞬の思いが商人たちの服毒を黙認させました。その"背信行為"を悔いてフォトは思わず自死を決意しますが、石を投げつけられて気絶してしまいます。

目を覚ました彼女は、むごたらしく殺してやると息巻く少年の言葉を耳にして戦慄します。このとき、彼女はついに誰かを恨み憎み殺してやりたいと思い、そして死にたくないと激しく思ったのではないでしょうか。

信仰心の象徴である太陽を背に、フォトは教えとエゴの狭間で葛藤します。揺らぎ始めた自分の心の隙をついて流れ込んでくる昏い感情に、彼女はギリギリまで抵抗し続けます。やがてその苦しみは、悲鳴のようにも呪詛のようにも思える叫びとなって山々にこだまします。それはまるで、自分のための人生を生きようと生まれ変わろうとする彼女の、二度目の産声のようにも感じました。

"Eye-opener"とは「目が覚めるような驚きの出来事」や「目覚めの一杯」という意味です。この事故によってフォトは個人として覚醒し、自分にとって信仰が、辛い現実を直視しないようにするための「目隠し(Blinder)」でしかなかったと気付かされていきます。彼女は今まで何も見えていませんでした。光の宿らない瞳もそれを物語っています。

 

  • 護衛の男が死に際に託したもの

 

彼は毒の苦しみを長引かせたくなくて自殺したのでしょうか? それだけではない気がします。困惑するフォトに対し、彼は彼女の言葉を借りてこう言いました。「いつか、分かるさ」と。まるでフォトが生き続けることを確信していたような口ぶりです。

彼はフォトの目の前で死の恐怖を実演してみせることで、罪悪感に苛まれる彼女の自殺願望を打ち砕きたかったのではないかと僕は考えます。首輪を外されるときも、小銃の手ほどきを受けるときも、フォトはやたらと怯えています。怯えは生きたいと願う心の証しです。彼はそのことを彼女に自覚させたかったのではないでしょうか。そもそもフォトは死のうと思えばいつでも死ねたはずですし。 

彼は自分のお爺さんの教えである「食べ物の好き嫌いをするな」を実践していませんでした。本当は運命論も受け入れたくはなかったのかもしれません。ですから、運命に縛られてるフォトの境遇が不愉快だったのだと思います。

しかしスープを飲もうとして邪魔された彼女を見て、彼は「将来を試されている」と語った彼女の言葉は真実だったのではないかと悟り、自分のなかの哲学に折り合いがついて救われた気分になったのではないでしょうか。それはただの偶然だったのかもしれませんが、ただの偶然に何かしらの意味を与えることで、納得し、救われることも世の中にはあるものです。

最期にフォトの楔をほどき、自分もその善き運命の輪の一部として身を委ねることは、死にゆく彼にとっても希望となったのではないでしょうか。結局のところ、人間が最期に縋るのは、神や運命といった超自然的な存在なのかもしれません。

 

  • 「生きれば、死ねる」とは?

 

太陽は沈み、フォトの信仰もついえます。彼女は死ぬことができなくなりました。死を恐れるからです。死の恐怖を和らげてくれる"使命"はもう存在しません。運命も彼女が死ぬことを許しません。なら生きるしかありません。でも人間はいつか死にます。やっぱり死ぬのは怖いです。堂々巡りです。このままでは人生は、死ぬまでの猶予期間でしかありません。

だからフォトは生きて考え続けます。どうしたら最期のときを恐れずに穏やかに生き、そして死ねるのかを。ただ生きて存在するだけでは駄目なんです。彼女の哲学がはじまりました。彼女を照らし導くのは、彼女自身がおこす火の光です。瞳に光(photo)が宿り、彼女ははじめて世界を見ました。彼女のこれからの人生は、死ぬまでの準備期間となります。

ジャン=ジャック・ルソーは教育論を説いた『エミール』のなかで、思春期における自意識の高まりをこう表現しています。「我々はいわば二度生まれる。一度目は存在するために。二度目は生きるために

フォトにとっての「第二の誕生」、これを機に彼女の運命は好転しました。フォトがフォトとして「生まれて以来(Since I Was Born)」、彼女は環境に恵まれて幸せな日々を送っています。ソウはフォトが人々に受け入れられた様子を幸運だったと語っていましたが、それはひょっとすると、正直な彼女の人柄によって周囲の人々の善性が覚醒された、ただの"必然"だったのかもしれません。

 

  • 追記:神話モチーフあれこれ

 

信仰や運命という題材。高山という舞台。それらの荘厳な雰囲気にどうしても神話の影を探してしまいます。

商人たちを死に至らしめたのは、葉の形状から見てトリカブトでしょう。ヨモギニリンソウと間違って食べてはいけません。知っておきましょう。

トリカブトは別名「ウルフズベイン(狼の毒)」と呼ばれます。その由来はギリシア神話にあり、地獄の番犬であるケルベロスヘラクレスに捕らえられて地上に連れ出された際、はじめて目にする太陽の明るさに驚いて吠え、そのとき大地に飛び散った唾液からトリカブトが発生した、という話に基づくらしいです。この話を知った後だと、フォトの叫びがまるで遠吠えのように聴こえてきます。

ソウはフォトにどんな名前を与えたのでしょうか? ローマ神話にはフォルトゥナという運命の女神が登場します。(ボナ・フォルトゥナという別名もあります) 運命を操るための舵を持ち、運命の移ろいやすさを表す球体に乗った姿でよく描かれます。フォトがたどった運命や、ソウにまたがるフォトのイメージにも通じるような気がします。

僕は、ソウは彼女にこの女神の名を与え、次第に民衆から写真を撮るその様子と掛けて、名を縮めた愛称で"フォト"と呼ばれるようになった、などと妄想しています。ちなみにフォルトゥナは英語の"Fortune"の語源とも言われ、この単語には運命、幸運、富という意味が含まれますよね。すべてフォトが手にしたものです。

ではソウの名前の由来はなんでしょうか? エルメス同様に旅人の守護神つながりで探してみましたが分かりませんでした。そこで、北欧神話のトールの英語読みである「ソー」というのはどうでしょう。(実際の発音だとソアに近いみたいなので、とっても苦しいですが) トールは性格は乱暴だし、冒険も好きだし、鍋も盗むよ!

 

再追記:ソウの由来に関しては原作者の時雨沢恵一がツイートしていました。どうやら、英語のsaw(seeの過去形)と本田宗一郎が元ネタらしいです。バイクは詳しくないですが、ソウのモデルはホンダの「モトコンポ」という折りたたみバイクなんですね。『キノ』はホンダの国がある世界。

 

 

  • 感想

 

何といっても絶叫シーン。水瀬いのりの渾身の叫びと演出が噛み合って、とても不気味で素晴らしかったです。

あと、あのシーン見て思ったんですけど、英題付きタイトルの表示のタイミングは、その言葉がとても象徴的なシーンに合わせていそうですね。他の話数もそんな感じですし。

 

昼から夜にかけて次第に光が失われていく様子と、フォトの内面を重ねる美術がとても印象的でした。とくに薄暮の禍々しい色彩が強烈で、ヘヴィな話がより重々しくなりました。

 

作者の加護を受け、キノとは真逆に国に留まって暮らすフォトの物語は、このシリーズのなかでは特異な立ち位置になりそうです。きっとオアシス枠ですね。ほかの連中の物語がロクデモナイのでもっと出番増えろ。