UglySmile

人生には物語とROCKが必要だ。

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』7話 感想と考察:歴史のある国が省みたワケ

第7話『歴史のある国』の感想と考察です。

今回は『歴史のある国  – Don't Look Back! –』の単独構成でした。

 

 

今回も分りやすい話でしたね。

キノの師匠と、その相棒の過去話。二人が立ち寄ったのは、警察が武力を独占し、強大な権力を持つ国。それ故に国内では政治腐敗が横行していた。

警官に濡れ衣を着せられてハメられた二人は、逆に国の中枢に陣取って、ねちっこい方法で警察を追い詰め、しまいには大金をせしめて悠々と国を後にするという、毒をもって毒を制するようなお話でした。

では、個人的に気になった点を。

 

  • 警察が下手に出すぎじゃない?

 

重要文化財である時計塔を擁する元宮殿を合同庁舎として使用し、建物内には武器庫も食料庫もある。それらをおさえられては、相手側も派手な破壊行為に打って出ることはできません。籠城にはもってこいです。

また時計塔は国の威信の象徴でもあるためか、国内で最も高い建造物であり、周囲には視界を遮るものもありません。狙撃には打ってつけ。二人は地の利を生かし、隊員の士気を削ぎながら警察側を追い詰めていきます。

各省庁からも尻を叩かれ、なけなしの戦力でなんとか対処しようとする警察ですが、焦る理由はそれだけではありません。最も懸念すべきは、日頃の民衆の不満がこの機に乗じて反乱の画策へと向かうことでしょう。国の性格上、民衆の支持が厚かったとはとても思えませんし。

四面楚歌の警察は、全面的に二人の要求を呑むほかありませんでした。きっと、師匠はそこまで計算したうえで籠城という選択を取ったのだと思います。もちろん、「たまには自分の最高の実力を出す」ためでもあります。

 

 

籠城事件以後、この国の管理体制は改善されました。事件はマヌケにも国中に報道され、警察の威信も失墜したはずですが、当時の事件に関わっていたと思われる老人は幸せな余生を送っていそうです。それまでの癒着構造の根深さを感じさせます。キノが国に訪れた際、武装した警官の姿は無かったので、現在は警察の権限は縮小されているのでしょう。

しかしガバナンスの向上をもたらしたのはそれだけが理由ではないのかもしれません。恥ずべき事実を隠蔽し、捏造した英雄叙事詩を語り継いでいったことで、結果的に国民のナショナリズムが善い形で高揚されたのかもしれません。怒りや失望よりも憧れが人を動かした。健忘が前進と発展に繋がることも時にはあるものです。

"Don't Look Back"の精神ですね。怒りで振り返ってはいけないとイギリスの国歌でも歌われています。(ウソです) まあ、単なるトラウマかもしれませんけど……。

 

 

  • 感想

 

今回は3話以上にコメディタッチな演技、間、動きが目立ちました。こういう空気感は前作には見られなかった部分であり、世界観に新たな解釈が加わって、『キノ』という作品がより表情豊かになったような気がします。

 

過去パートのモノクロやセピア調の色彩は、なんだか古びた映画のようで渋くてカッコよかったです。キノがカラフルな紅葉混じりの森の中を走行するシーンと対照的でした。ひとつの作品にカラーとモノトーンのシーンを同居させることで、過去の出来事の寒々しさを演出するのは『シンドラーのリスト』を思い出させます。

 

そういや、籠城シーンは『ダイ・ハード』を思い出しました。高所に立て篭もるテロリスト(もちろん、師匠と相棒のことです)と警官の対立という構図や、メディアによって事態が筒抜けになる失態、装甲車をロケット弾で撃ち抜くシーンには既視感をおぼえましたね。

狙撃兵が敵兵を負傷させて、助けに来た兵士もろとも撃ち殺すというエグい話をはじめて知ったのは、『フルメタル・ジャケット』でだったかな。やっぱり今回はどこか映画的な感じがします。

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』6話 感想と考察:「生きれば、死ねる」の意味

第6話『雲の中で』の感想と考察です。

今回は、

アバン:『雲の中で・b  – Blinder・b –』

本編:『雲の前で  – Eye-opener –』+『雲の中で・a  – Blinder・a –』

ED:『あの日から  – Since I Was Born. –』

という構成でした。

 

 

まずは考察から。

 

 

今回の話のなかでもとりわけ印象的で衝撃的なフォトの絶叫シーン。そこに込められた彼女の心境とはいかなるものだったのでしょうか。

フォトは生まれ故郷の教えを盲信していました。どんな酷い仕打ちを受けても、恨みも憎みも殺しもせず、たとえ殺されてもそれすら受け容れて、微笑んで果てるつもりでした。それは、人の善性を覚醒させるための犠牲として、自分自身を世界に捧げる行為です。彼女の生と死は、その"使命"のもとでしか意味をなさなかったんです。

しかし、覚悟完了してるかに見えたそんな彼女も、死線に立たされては魔が差し、エゴがむき出しになります。死ねばいい。そんな一瞬の思いが商人たちの服毒を黙認させました。その"背信行為"を悔いてフォトは思わず自死を決意しますが、石を投げつけられて気絶してしまいます。

目を覚ました彼女は、むごたらしく殺してやると息巻く少年の言葉を耳にして戦慄します。このとき、彼女はついに誰かを恨み憎み殺してやりたいと思い、そして死にたくないと激しく思ったのではないでしょうか。

信仰心の象徴である太陽を背に、フォトは教えとエゴの狭間で葛藤します。揺らぎ始めた自分の心の隙をついて流れ込んでくる昏い感情に、彼女はギリギリまで抵抗し続けます。やがてその苦しみは、悲鳴のようにも呪詛のようにも思える叫びとなって山々にこだまします。それはまるで、自分のための人生を生きようと生まれ変わろうとする彼女の、二度目の産声のようにも感じました。

"Eye-opener"とは「目が覚めるような驚きの出来事」や「目覚めの一杯」という意味です。この事故によってフォトは個人として覚醒し、自分にとって信仰が、辛い現実を直視しないための「目隠し(Blinder)」でしかなかったと気付かされていきます。彼女は今まで何も見えていませんでした。光の宿らない瞳もそれを物語っています。

 

  • 護衛の男が死に際に託したもの

 

彼は毒の苦しみを長引かせたくなくて自殺したのでしょうか? それだけではない気がします。困惑するフォトに対し、彼は彼女の言葉を借りてこう言いました。「いつか、分かるさ」と。まるでフォトが生き続けることを確信していたような口ぶりです。

彼はフォトの目の前で死の恐怖を実演してみせることで、罪悪感に苛まれる彼女の自殺願望を打ち砕きたかったのではないかと僕は考えます。首輪を外されるときも、小銃の手ほどきを受けるときも、フォトはやたらと怯えています。怯えは生きたいと願う心の証しです。彼はそのことを彼女に自覚させたかったのではないでしょうか。そもそもフォトは死のうと思えばいつでも死ねたはずですし。 

彼は自分のお爺さんの教えである「食べ物の好き嫌いをするな」を実践していませんでした。本当は運命論も受け入れたくはなかったのかもしれません。ですから、運命に縛られてるフォトの境遇が不愉快だったのだと思います。

しかしスープを飲もうとして邪魔された彼女を見て、彼は「将来を試されている」と語った彼女の言葉は真実だったのではないかと悟り、自分のなかの哲学に折り合いがついて救われた気分になったのではないでしょうか。それはただの偶然だったのかもしれませんが、ただの偶然に何かしらの意味を与えることで、納得し、救われることも世の中にはあるものです。

最期にフォトの楔をほどき、自分もその善き運命の輪の一部として身を委ねることは、死にゆく彼にとっても希望となったのではないでしょうか。結局のところ、人間が最期に縋るのは、神や運命といった超自然的な存在なのかもしれません。

 

  • 「生きれば、死ねる」とは?

 

太陽は沈み、フォトの信仰もついえます。彼女は死ぬことができなくなりました。死を恐れるからです。死の恐怖を和らげてくれる"使命"はもう存在しません。運命も彼女が死ぬことを許しません。なら生きるしかありません。でも人間はいつか死にます。やっぱり死ぬのは怖いです。堂々巡りです。このままでは人生は、死ぬまでの猶予期間でしかありません。

だからフォトは生きて考え続けます。どうしたら最期のときを恐れずに穏やかに生き、そして死ねるのかを。ただ生きて存在するだけでは駄目なんです。彼女の哲学がはじまりました。彼女を照らし導くのは、彼女自身がおこす火の光です。瞳に光が宿り、彼女ははじめて世界を見ました。彼女のこれからの人生は、死ぬまでの準備期間となります。

ジャン=ジャック・ルソーは教育論を説いた『エミール』のなかで、思春期における自意識の高まりをこう表現しています。「我々はいわば二度生まれる。一度目は存在するために。二度目は生きるために

フォトにとっての「第二の誕生」、これを機に彼女の運命は好転しました。フォトがフォトとして「生まれて以来(Since I Was Born)」、彼女は環境に恵まれて幸せな日々を送っています。ソウはフォトが人々に受け入れられた様子を幸運だったと語っていましたが、それはひょっとすると、正直な彼女の人柄によって周囲の人々の善性が覚醒された、ただの"必然"だったのかもしれません。

 

  • 追記:神話モチーフあれこれ

 

宗教や運命という題材。高山という舞台。それらの荘厳な雰囲気にどうしても神話の影を探してしまいます。

商人たちを死に至らしめたのは、葉の形状から見てトリカブトでしょう。ヨモギニリンソウと間違って食べてはいけません。知っておきましょう。

トリカブトは別名「ウルフズベイン(狼の毒)」と呼ばれます。その由来はギリシア神話にあり、地獄の番犬であるケルベロスヘラクレスに捕らえられて地上に連れ出された際、はじめて目にする太陽の明るさに驚いて吠え、そのとき大地に飛び散った唾液からトリカブトが発生した、という話に基づくらしいです。この話を知った後だと、フォトの叫びがまるで遠吠えのように聴こえてきます。

ソウはフォトにどんな名前を与えたのでしょうか? ローマ神話にはフォルトゥナという運命の女神が登場します。(ボナ・フォルトゥナという別名もあります) 運命を操るための舵を持ち、運命の移ろいやすさを表す球体に乗った姿でよく描かれます。フォトがたどった運命や、ソウにまたがるフォトのイメージにも通じるような気がします。

僕は、ソウは彼女にこの女神の名を与え、次第に民衆から写真を撮るその様子と掛けて、名を縮めた愛称で"フォト"と呼ばれるようになった、などと妄想しています。ちなみにフォルトゥナは英語の"Fortune"の語源とも言われ、この単語には運命、幸運、富という意味が含まれますよね。すべてフォトが手にしたものです。

ではソウの名前の由来はなんでしょうか? エルメス同様に旅人の守護神つながりで探してみましたが分かりませんでした。そこで、北欧神話のトールの英語読みである「ソー」というのはどうでしょう。(実際の発音だとソアに近いみたいなので、とっても苦しいですが) トールは性格は乱暴だし、冒険も好きだし、鍋も盗むよ!

 

 

  • 感想

 

何といっても絶叫シーン。水瀬いのりの渾身の叫びと演出が噛み合って、とても不気味で素晴らしかったです。

あと、あのシーン見て思ったんですけど、英題付きタイトルの表示のタイミングは、その言葉がとても象徴的なシーンに合わせていそうですね。他の話数もそんな感じですし。

 

昼から夜にかけて次第に光が失われていく様子と、フォトの内面を重ねる美術がとても印象的でした。とくに薄暮の禍々しい色彩が強烈で、ヘヴィな話がより重々しくなりました。

 

作者の加護を受け、キノとは真逆に国に留まって暮らすフォトの物語は、このシリーズのなかでは特異な立ち位置になりそうです。きっとオアシス枠ですね。ほかの連中の物語がロクデモナイのでもっと出番増えろ。

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』5話 感想と考察:物語に隠された最後の嘘

第5話『嘘つき達の国』の感想と考察です。

今回は、

Aパート:『旅人の話  – You –』

BパートとED:『嘘つき達の国  – Waiting For You –』

という構成でした。

 

 

まずは考察から

 

……と思ったんですが今回の話も、今さら解説の必要なんて無いほどに、不可解な点は作中で説明し尽くされていますね。

国の圧政に耐えかねた民衆による革命の兆し。アクティブな王女は国外れに住む田舎娘という偽装で反乱組織の実行部隊のリーダーに接触、恋に落ちる。その姿はとても仲睦まじく周囲の目に映った。

1年後、王女はリーダーから一方的に別れを告げられる。その直後に革命は決行され、リーダーは王族を爆殺するが、実行部隊がそこで目にしたのは変わり果てたリーダーの恋人の姿だった。

革命は成功したものの、リーダーは自分の恋人が王女であったこと、そんな彼女を自分が殺してしまったこと、その二重のショックで精神を病んでしまう。見兼ねた医者は「あなたの恋人は旅に出た」と嘘をつき、その言葉を信じた彼は戻らない恋人をいつまでも待ち続けた。

一方、事前に革命の危機が差し迫ったことを察した王女は、身代わりを立てて難を逃れていた。彼の事を忘れられなかった王女は再び素性を隠して国に戻る。ちょうど国は彼の世話役を探していて、彼女を家政婦として雇い入れた。王女はそのささやかな幸せに満足し、彼に寄り添い続けた。

国民たちは英雄である彼のために「恋人はいつか戻る」と嘘をつき続け、彼と嘘で出会い、嘘で別れた王女は再び彼と嘘で繋がり続ける。しかし優しい嘘の連鎖はそれだけではなかった。

彼もまた国民や王女の嘘に気づき、今の幸せを壊さぬよう狂人のフリをして嘘をつき続けていたのだ。この国の連帯の土台は、まさに嘘で塗り固められている……というお話でした。めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

…………ん?

 

 

何か、おかしいですね。

 

王女が旅人として再び国に戻ったとき、なぜ彼女が王女だと誰も気付かなかったんでしょう?

 

キノと話をしていた実行部隊の友人や国民たちは、革命前のリーダーと王女の仲睦まじい様子を知っていますし、爆殺された王女と瓜二つの身代わりの姿も目撃してるはずです。気付かないというのはおかしくないですか?

実行部隊の友人はリーダーの恋人を「長い髪をした、美しいひとだった」と評しています。国に戻った王女はショートヘアですが、それでも決して別人に見えたりはしないでしょう。当時は化粧が派手だった? それだって別人とまではいかないでしょうし、そもそも偽装の設定は「田舎娘」のはずです。

革命後に整形したんだろ? それだとリーダーは雇われた家政婦さんが彼女であると気付くことができません。いやまあ愛があればなんたらってことで説明できなくもないですけど、この話で整形ネタ使われると、個人的になんだかせっかくのロマンスが薄れるような気がするので却下です。(横暴)

 

  • 隠された最後の嘘

 

この疑問を解消する手が一つだけあります。革命前に国民が目にしていたリーダーの恋人は、そもそも彼女ではなかった。ということです。

思い出してください。実行部隊の友人はキノに、爆殺された王女(身代わり)の姿を見て、はじめて王女がリーダーの恋人であると知ったと語っていました。つまりここの国民たちはそれまで王女がどんな姿をしているのか知らなかったんです。

それならば、王女とは別の「長い髪をした、美しい」替え玉が、国民たちの前で恋人として振舞い、王女として爆殺されても、彼らはその身代わりを王女かつリーダーの恋人として認識するでしょう。行き倒れていた旅人の女性を、本物の王女だと気付く者などいるはずもないです。

しかし、そうなると当然リーダーも一枚噛んでることになります。僕はリーダーは革命前から王女の素性に気付いていたのだと考えます。王女は身分を偽って彼に近付きましたが、それはすぐに見破られた。それでも彼は彼女を愛し、彼女もまた彼を愛し民衆の苦しみに共感した。二人は道ならぬ恋と革命を成就させるための方法を模索します。

王女の姿は民衆に知られていないのだから、革命の際に適当な身代わりを立てて、素知らぬ顔で暮らしていくというのはどうか。しかし革命の英雄として祭り上げられ、新政府の要職として常に人目に触れる生活では、彼女の正体に気付く者がいつ現れるとも知れません。そうなったとき、王族への憎しみが再び彼女に向けられる可能性があります。

では、いっそ知らない土地へ駆け落ちするのはどうか。しかしこの国では市民の出国は認められていません。(この不可解な国法は、革命後に外で暮らす元王族を守るために制定されたのかもしれません。表向きにはどんな意図があるのか、よく分かりませんが)

どうにかしてこの国のなかで誰にも干渉されずに暮らしていける方法はないものか。そうして考えた末に見つけた二人の答えが、悲劇によって精神が病んだフリをして、人目に付かない森の中でひっそりと、表向きは頭のイカれた男とその世話役として暮らしていく、というものだったのではないでしょうか。

キノに話をしていた実行部隊の友人、おそらく彼こそ王家のスパイであり、すべてを知ったうえで昔も今も二人をサポートし続けているのだと思います。爆殺された王女が本物であると民衆に信じ込ませたり、旅人として国に戻った王女を家政婦に推薦したり、色々と手引きしていたのではないでしょうか。

謎はすべて解けた。真実はいつも一つ。ただこの推理だと、同じくすべてを知ったうえで二人のために、恋人のフリして命まで捧げて悲劇を演出した身代わりの女性、ド根性すぎだろ……。

 

  • なんで皆、キノにベラベラ喋るの?

 

脚本の都合じゃありません。秘密を抱え続けることは、人間にとって精神的な負担となります。ですので童話『王様の耳はロバの耳』のように誰か、あるいはどこかについ吐き出したくなるものなんです。誰かを傷つけないよう、適度に自分の中を吐き出すというのは精神衛生上、大切なことらしいです。

それともう一つ、キノが部外者であるということも理由かもしれません。前述の推理が正しいことを前提にしますが、外部の人間がリーダーの心の問題や二人の事情を解決しようと、親切心で深入りするような事があっては、せっかくの二人の計画が台無しになってしまいかねません。

国民たちにリーダーの話を切り出したのはキノの方です。スパイの友人はキノがリーダーの事情に興味を持っていると受け取ってしまい、下手に隠し立てしてかえって興味を煽るよりは、こちらから許せる範囲まで話してしまおうと考えたのではないでしょうか。

上手な嘘のつき方とは9割の真実に1割の嘘を添えること、という話もあります。2回もドンデン返しがあれば、大抵の人間はそれが真実なのだと納得して、それ以上掘り下げるような真似はしないでしょう。特にそれが「いい話」である場合、なおのこと人は信じたがるものです。王女とリーダーは暗にこうキノに告げています。自分たちは幸せだから余計なことは考えるな、と。決して脚本の都合じゃありません。決して。

 

  • っていうかAパートの話って必要?

 

尺が余りますし。 Aパートの話は「電撃文庫ビジュアルノベル」というレーベルで発売された、絵本形式のハードカバー本に収録されている『旅人の話  – You –』をアニメ化したものです。今回は二本立てなんですね。いくつかの話をまとめる構成は前作でも採用されていました。よーく観ると、この話と『嘘つき達の国』には偽りを信じ込むという点以外にも、重なる部分があるように思えてくるんですよ。

記念館のモトラドが黙って展示され続けるのは、単体では動くことができないからというだけではない気がします。それがいくら誤解の果ての地獄であっても、彼は旅人を慕う国民の想いを無下にできなかったのではないでしょうか。この健全とは言い切れない善意の送受信による見せかけの安寧は、『嘘つき達の国』におけるリーダーと国民たちの関係性に通じるものがあります。しかしその結果、手にした暮らしは一方は不幸、もう一方は幸福という両極端です。

それに『嘘つき達の国』の英題である"Waiting For You"。恋人を待ち続けるリーダーだけでなく、自分を連れ出してくれる旅人を待つモトラドの思いにも掛かってるワケですね。ちなみにwaitという単語には「給仕する」「仕える」という意味もあります。"Wait on you"で「あなたに仕える」になりますよね。ひょっとするとこの英題には、恋人と家政婦という立場を併せ持つ王女のイメージも含まれてるのかもしれません。

タイトルの解釈ついでに語らせてもらうと、『嘘つき達の国』の美術のなかで一際目をひく、紅葉とのコントラストがとても印象的な落葉樹は白樺です。花言葉はもちろん「あなたをお待ちします」。他に「柔和」「忍耐強さ」という意味もあるそうです。二人の暮らしぶりを表しているようですね。真っ赤な紅葉を敷き詰める森は、真っ赤な嘘で覆い隠す二人の生活を暗示してるようでもあります。

さらに性懲りもなく、原題の"You"についても語らせてもらうと、原作では最後に出てきた少年のくだりが、「私」という少年の一人称視点で記述されているそうです。つまりこの話、少年を読者に重ねてるようにも思えるんですよ。少年の視点を通して読者に「旅」に出ろと語りかけているようなイメージです。Youとは読者であるあなたの事かもしれません。だからと言って盗んだバイクで走り出し、誰にも縛られたくないと逃げ込んだその夜に自由になれた気がしたりしてはいけませんよ? 

 

 

  • 感想

 

別の物語を組み合わせることで、物語のテーマやイメージが重層的に補強されたり広がったりする構成力の妙は健在ですね。映像化されるエピソードはすでに公表されていますが、この先も思いがけないところで今話のようなサプライズがあるかもしれません。原作ファンの期待も広がりそうです。

 

構成といえば、思索を促す『キノ』らしい1話から、バトルもの、ブラックジョーク風、切ない系、イイ話と、バラエティに富んだラインナップで展開されているのも面白いです。この作品のカラーの幅広さを実感させるシリーズ構成ですね。

The Rasmus 『Dark Matters』:レビュー

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R&Bへの接近が感じられるEmpireは、新しい試みでありながら既に小慣れた感じすらある落ち着いた一曲。今作で一番のお気に入り。

 

先行シングルのParadiseは彼らの叙情性が凝縮された†暗黒†への賛歌。

In the Shadowsへの回帰を思わせるMVもなかなか感慨深い。

 

キャッチーなメロディーの反復が印象的なSomething in the DarkCrystallineは、彼らの進化を最も体現しているダンスチューンだ。

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』4話 感想と考察:塔の一族の真の目的

シズの旅:第4話『船の国』の感想と考察です。

今回は、

アバンと本編:『船の国  – On the Beach・a –』

Cパート:『渚にて 旅の始まりと終わり – On the Beach・b –』

という構成でした。

 

 

まずは考察から。

  

  • シズの正義はなぜ民衆に届かなかったのか

 

善意がいつだってありがたく受け止めてもらえるとは限りません。何をもって善とするかは相対的なものでしかないからです。劣悪な環境、質素な食事、短命の不幸といった評価は、あくまで外の世界を知るよそ者の主観に過ぎません。

外の世界を知らないからこそ、「船の国」に住む彼らは不満を抱くことなくこの暮らしを続けていられたのです。井戸の中で生まれたカエルが海を知らずに死んだとしても、カエルにとってそれは幸福でも不幸でもありません。いきなり外の世界に放り出されても、彼らにとっては迷惑以外の何物でもないでしょう。

そのうえ長老以下、この国の民衆は塔の一族に頼りきりのために思考能力を失い、リスクを見て見ぬふりして、自分たちにとって都合の悪い事実は認めようとしない正常性バイアスと呼ばれる心理傾向に陥っています。

シズの最大の誤りは、自身の価値基準に寄りすぎたあまり、彼らの愚鈍と怠惰を見過ごしてしまったことです。結局、シズが警告してもこの国の民衆は日常の終焉よりも、日常の変化を恐れて船に戻ります。さすがにシズもお手上げです。その篤実で潔癖な生来の正義感が報われることはありませんでした。

父親のせいで母親が自殺したり、復讐のために青春を無駄にしたり、ガキ相手に舐めプして二度も負かされたり、頑張ったのに善意の押し付けガーありがた迷惑ガー言われたり、作者のシズいじめがヒドすぎませんかね……。

 

  • しかも助けようとした幼女になぜか殺されかけるし

 

両親に捨てられ、民衆から疎まれるティーにとって、目をかけてくれた塔の一族は親代わりのような存在であり、この世界に絶望しないための唯一の拠り所であったはずです。しかしシズに国を任せて一族はおそらく消失してしまったので、もう船の国にティーの居場所はありません。

またティーはこの船の民衆とは違って外の世界を希求しています。シズとともに(船の運命も暗示してるような)斜陽を眺める様子にその一端がうかがえます。もしかすると自分を置いていった両親のことを想っていたのかもしれません。どんな人間であろうと、この年頃の子どもにとって親という存在はやはり特別なものです。

親代わりであった一族を失い、新たな拠り所として親愛しはじめたシズに突き放され、外の世界への可能性まで断たれたティーの静かな激情を、あのナイフの切っ先に認めるのはさほど難しいことではないでしょう。

ちなみに今回のCパートのタイトルや英題はそのまんま、ネビル・シュートの小説『渚にて(原題:On the Beach)』の借用ですね。ティーがシズとの出会いを通して経験した希望と絶望は、この作品に登場する人物たちの運命と重なるものがあります。

 

  • 船は母

 

サザエさんの話じゃないです。

個人的に今回の話には母性の暗示が、いくつかの箇所に見て取ることができるんですよ。

それが最も象徴的だったのが、シズのコートを打つ雨の音をティーが気に入るシーンでした。雨音にはヒーリング効果があると言われています。胎児の頃に聞いていた母胎を伝う心音や血流音に酷似するために安心感をおぼえやすいのだとか。

また、船から出てきた男の子は「ぜんぜん揺れないよ。気持ち悪いよ」と言っていました。船の生活に身体が順応しすぎてしまったが故の発言でしょうが、揺れは赤ん坊に安らぎを与えます。まるでこの国が巨大な揺りかごのように思えてきます。

あと、さすがにこれは自分でもこじつけが過ぎるようにも思うんですが、船の破損箇所が143という細かい数字であったこと。

英語圏では"I Love You"を意味するナンバースラングとして"143"が使われています。(いつからかは知りませんが)それぞれの数字は三つの単語の文字数を意味しています。143ヶ所の綻びによって民衆を外の世界へ逃がそうとした船に、我が子の独り立ちを望む母親の愛情のようなものを重ねてしまうのは考えすぎでしょうか。

「親離れ」は今回の物語における最大のテーマなのかもしれません。そう考えると、塔の一族の立ち位置というのも変わって見えてきます。僕はしばらくの間、塔の一族は民衆に対して強権的なだけだと思っていました。しかし今はその横暴な振る舞いも、ティーを遣わせたのも、すべてはシズが純粋な使命感で民衆を導いてくれるような人物たり得るか、見定めるためのものだったのではないかと思っています。

民衆の「親離れ」は失敗しましたが、ティーはシズという新たな拠り所を得て新たな世界へと踏み出し、少しだけ成長できたように思えます。シズもティーという守るべき未来への責任を背負ったことで、本当の意味で過去と訣別できたのではないでしょうか。母性を象徴するようなこの国の影が二人から引き剥がされていく様子には、そんな意味が込められているような気もしました。

 

 

  • 感想

 

薄幸の幼女という設定に弱いです。

ところでティーはどうして手榴弾とナイフを持っていったんでしょう。シズたちに加勢するためとも、元々隙を見てシズを殺すためだったとも思えません。ずっと引っかかっていたんですけど、公式サイトのキャラページ見たらひと言、「手榴弾が好き。」と書かれていました。好きならしょうがないね。

キノさんが相変わらずで安心しました。そしてあの変わり身の早さ、流石です。

 

そういえば、夕日のシーンや3話冒頭のシーンを観てて思ったんですけど、今回のアニメ化では陰鬱な色彩設定や演出が濃かった前作とは真逆に、積極的に世界の瑞々しさを魅せていく方向に舵を切ってそうですね。前作の雰囲気も好きなんですが今回のこの方向性によって、キノたちが旅を志向する絵的な説得力は増したような気がします。

 

ちなみに今作で『キノ』の世界に初めて触れた方たちのなかには、キノがラストにシズやティーを助けたことに違和感をおぼえたという人もいるのではないでしょうか?「キノって自分の利益にならないことにはドライで、不干渉主義で善人てワケでもないんだろ? なんかブレブレじゃね?」、みたいな。

ネタバレになるので控えますが、このあたりの疑問は後々の回で一応の説明はつくんですよ。そのあたりの解釈は、その回の感想で語りたいと思います。

 

そして今回の話で最大の謎とも言えるキノの「死ぬほど驚くかもね」の真意ですが、すでに説得力のある考察がいくつか挙がってるようで、僕もそれらの解釈にはとても納得がいきました。

ただ、そんななかでも僕が支持したいのはキノ不老説というトンデモな説です。これについての解釈も、語ろうとするとネタバレは避けられないので後々の回の感想で語りたいと思っています。(もったいつけ)

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』3話 感想と考察:移動する国の身勝手さについて

第3話『迷惑な国』の感想と考察です。

今回も『迷惑な国  – Leave Only Footsteps! –』の単独構成でした。

 

 

まずは考察から

 

……と思ったんですけど今回はとくに不可解な場面も無く、分かりやすい話だったのではないでしょうか。

何かに困り果てた様子のキノ。そこに突然現れた超科学を擁する移動国家。珍しく長期の滞在を申し出たキノでしたが、それは高額な通行料をふっかけて旅人を困らせる「通せんぼの国」を、この国を利用して越えるためだった、というオチですね。

以下、個人的に気になった点を挙げてみます。

 

  • 移動する国の身勝手さ

 

今回、キノが滞在することになった「移動する国」。この国の人々の、文字通り踏みにじられる他国に対する無関心、自国本位な身勝手さは一体どこからくるんでしょう。

優越者の傲慢と一言で片付けるのは簡単ですが、もしかすると彼らの恵まれた環境そのものがそれを生んでしまっているのかもしれません。

科学技術や保障制度が過剰に発達した安全で便利すぎる暮らしは、結果的に人間同士の相互扶助の機会を減少させ、かえって他者への同情心や共感意識を衰えさせてしまうかもしれません。

また社会とのつながり意識の希薄化は内向きな自己弁護を増長させてしまい、他者への仮借ない攻撃性にもつながりやすくなってしまうのではないでしょうか。

つまりここでいう「他者」「社会」を「外の国々」に置き換えたのが彼らの暮らしぶりなのではないかと思うんですよ。

さらに言うと彼らの国には日の概念はありますが、年の概念はありません。ひとところに留まることなく旅を続けているからです。

年の概念とは古来より季節の周期性に由来し土着意識に深く根を下ろすものです。ひょっとするとそれらを持ち得ないことが彼らの、踏み荒らされた外の世界への関心や責任を希薄にさせている側面もあるかもしれません。彼らにとって外の世界はいつだって巡ってくるものではなく、通り過ぎるものでしかありませんから。

 

  • なんかどっちも悪いみたいな雰囲気で締められたんだけど……

 

どう考えても移動する国の方がクソッタレです。騙されないでください。家潰されるより通行料ぼったくられる方がよっぽどマシです。

ただ初見時は「なんだ通せんぼの国もクソじゃん」と思って妙にホッとしてしまったんですよ。それがなんだかスッキリしないので、この保身意識の原因は一体何なのかと考えていたところ、思い当たったワードが内集団びいきというやつです。

自分が所属している集団に対しては好意的だが、それ以外の集団に対しては不遜で差別的な態度を取ってしまう社会心理のことですが、これが国に肩入れするキノの視点を通して観てるこちら側に働きかけ、公務員さんの自己弁護に妙に納得し、通せんぼの国を過度に悪者にしたくなる心理へとつながったのだと思います。

でもどちらに住みたいかと問われたら断然「移動する国」ですけどね。安全で便利すぎる暮らしマジ最高。

 

  • その他、思い至ったこと

 

移動する国ってあれですよね。完全に原発意識してますよね。形といいシステムといい移動してるときの怪獣映画っぽいBGMといい。それに原発に限らず現実の発電所も環境意識を示すためによく壁画が施されますよね。

そう考えるとキノの「あの国は、これからどこへ行くんだろうな」の台詞もなかなか感慨深いものに思えます。

あとネルフ本部司令室みたいな指揮所もそうですけど、機巧都市はやっぱりロマンです。

 

通せんぼの国の心の叫びであるサブタイトルの英題は旅人の間に伝わる格言、"Take only memories, leave only footprints."(思い出だけを持ち帰り、足跡だけを残しなさい)が元ネタでしょうか。(ちなみにこの言葉、世界中の観光地で景観保護の注意書きとして使用されているそうです。カッケー。)

FootstepsもFootprintsも同じく足跡の意味です。なぜFootstepsの方をタイトルに用いたかまでは分かりません。

 

 

  • 感想

 

オーバーテクノロジーのイカれた国が出てきてレーザーまでぶっ放す破茶滅茶ぶりは完全にギャグですが、それだけにとてもアニメ映えするエピソードでした。しかしギャグ回だというのにこの妙にスッキリしない視聴後感。これもまたこの作品の特徴の一つですね。

ただそんな事よりキノの照れ顔が可愛かった。

『キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series』2話 感想と考察:国を崩壊させたキノの真意

第2話『コロシアム』の感想と考察です。

今回は『コロシアム  – Avengers –』の単独構成でした。

 

 

まずは考察から。

  

  • キノが不殺を貫いたのは「優しさ」なのか

 

キノは対戦相手に向かって繰り返し降参するよう訴えますが、それは温情によるものだったのでしょうか。

僕はそうは思わなくて、キノはただこの国の空気に従いたくなかったのだと考えます。

なぜなら論旨も論拠もハッキリしない先日の悪文記事でも語ったように、キノはエリートフリーターだからです。定職に就きもしないでフラフラすることに誇りを持って生きていますから、社畜のノリに付き合う気なんてさらさらありません。

uglysmile.hatenablog.com

 

闘いを眺める市民たちが望むのは参加者の死と、殺しです。誰かの生々しい死によって覚えることのできる自らの生の実感を、安全な場所から享受しようとする空気がこの闘技場を支配しています。キノや他の参加者たちはその実感を搾取される側の立場にあります。

それぞれの国の風土や慣習に一定の距離を保って接することを信条としているキノですから、自分の意志が強制される不本意なイベント参加には怒りをおぼえるのでしょう。のっけからイライラしちゃってます。なので意地でも観衆を喜ばせないよう、「支配への反抗」の意を込めてキノは不殺を貫いたのではないでしょうか。

キノが殺人に対して躊躇も忌避感も抱いていないのは、この後の王殺しを見ても明らかです。

 

  • 市民同士で殺し合いさせるのはさすがにやりすぎじゃね?

 

キノは王を派手にぶっ殺してやりました。果たしてそこに込めた真意とは何だったのでしょう。

僕は本作を観る限り、キノが王に対し強い感情を持っていたとは思えません。それよりもその死を踏み台にして市民同士で殺し合いをさせ、国を崩壊させる事こそがキノの目的だったと考えています。ではなぜそんな事をしたのか。

かつて出会った夫婦への同情心からくる復讐、というのは確かにキノのなかの人間らしさや揺らぎを覗かせて物語を切なくも美しく彩ります。なんせ物語のタイトルの英題はAvengers(復讐者たちの意。ただしここで言う復讐とは個人的な怨念返しよりも、正義の名のもとに下す制裁の意味合いの方が強い)です。

全くその気がないとは言い切れませんが、それでもやっぱり僕には復讐代行が一番の理由だとは思えないんですよね。あ、言っときますけど間違っても感情失った殺戮マシーン主人公を気取らせたいわけではないですよ?

僕は復讐よりは前述した「支配への反抗」の究極の形として、国そのものをキノは破壊したかったのではと考えてるんですよ。なぜなら王政とはいえこの国のありようを形づくっている責任は王だけにあるのではなく、その行いを嬉々として看過している市民たちの側にもあるからです。

つまり、キノがこの不本意なイベント参加を了承した一番の理由は、国の気風そのものへの腹いせだったと思っています。結果的にそれによって何人死のうがお構いなしです。腹いせで人を死なすのだって充分人間らしいです。

 

  • キノをハメた婦人の真意は?

 

ここで英題が効いてくると思います。

婦人がキノの実力を理解していたかどうかは確証ありませんが、こうなる事を見越してキノを陥れたのだと僕は思っています。Avengersとはシズと婦人のことだったのではないでしょうか。その信念のなかに正義があったとはあまり思えませんが。

いやひょっとすると回りくどいミスリードや皮肉のつもりで冠したタイトルかもしれません。(さすがに考えすぎか)

シリアスな場面だというのに石にあたるキノはちょっと可愛いくて困ります。一見すると婦人の不幸を想ってまだあの国への怒りが燻ってるように思えますが、僕にはこの時のキノの憤りが、支配に反抗し続けていたように見えて、結局は婦人の思惑に支配されていただけの自分に対するもののようにも見えました。

 

  • 大きすぎる王冠

 

キノが王冠をシズの頭に重ねるシーンを観て思ったのですが、シズにとってキノの「王殺し」は、閉塞した復讐心に支配されていた自身の心が救われただけでなく、退嬰した状況から自身を解放させ、より啓発的に生きようとするための通過儀礼としても作用したのかもしれません。

遠近で重なる大きすぎる王冠は、王としての責任の重さを表現しているように見えますが、支配者として国に留まることでシズが人間として小さくまとまってしまうことを意味してるようにも見えました。今後キノと似た道を歩んでいくことを暗示しているようにも見えますね。

 

 

  • 感想

 

さすがに今回の話、旧作との比較で語ろうとしてしまうのはどうしたって避けられないと思います。

先に結論だけ言わせてもらえば、個人的には全然ありです。いやぁスタッフまじGJ。

 

旧作では二話にわたる中編として展開されましたが、人気のエピソードとはいえ、主要キャラの登場回であるために構成に加えざるを得なかった、という事情を考えればシェイプアップは仕方のないことです。

しかし今作では要点を捉えた秀逸な取捨選択によって、キノの内面がむしろ旧作に比べ明瞭になったのではないかと思うんですよ。

とくに王を、狂気と苦悩を抱えたひとりのキャラクターとしてではなく、「王」というただの記号として配置させたことで王殺しにおける感傷が排除されたことは、王をめぐる周囲の憎悪に対するキノのドライさを感じさせます。

また旧作では描かれなかったキノが新ルールを宣言するときの支配的な全能感やその後の市民の乱闘の描写では、国に対するキノの積極的な悪意が強調されているように感じました。

バトルアニメとしての醍醐味は確かに小振りですが、それでも充分満足のいくリメイクでした。

 

OP絵が解禁されました。素晴らしいです。

キャラクターに内面世界が次々と映写される様子には、『キノ』の内省的で思弁的な作風が投影されているような気がしました。

全体的に光沢感のある塗りと印象的な光の撮影効果がとても綺麗で、やなぎなぎの繊細で開放的な歌唱と合わさるとこれまたグッとくるんですよ。